人権、自由、同志と叫び続ける人々の覚悟とは
おはようございます
米中対立の果ての世界について少し思いを巡らしたいと思います。
中国が対外政策をはっきりと転換したのはチベット問題からだと認識しています。
チベット人に対する人権問題を欧米が問題視し、それに日本が追随した事を皆様はご記憶されておりますでしょうか。
あれ以来中国は日本に対し、倍返しだ!!と言わんばかりに第二次世界大戦時の人権問題の蒸し返しアピールを本格的に始めました。(本邦では現在韓国こそが反日たたきの根源かと思われがちですが、無垢な韓国人青年たちと赤化を標榜するニヒリスト集団(自称知識人層-いわゆる勘違い系です)がそれに利用されたと考えるほうが自然でしょう)
現在米国で起きている黒人差別問題における暴動もその一環だと考えるとなんとなく腑に落ちるところもあるのではないでしょうか。
人権問題と自由!!これは米国が戦争や紛争を他国で引き起こすときに使用された常套文句でした。
中米でノリエガ将軍を逮捕するときも、アフリカ・コンゴでムルンバを追い落とすときも、アラブで対共産圏の防波堤としてムジャヒディンを肥え太らした時も同じ論法が幾度となく使用されました。
そして今度はその手法を中共エリート層がそっくりそのまま模倣し今まで面従腹背してきた帝国に一撃カウンターをお見舞いしたといったのが今の世界情勢でしょう。
しかしこのラッキーパンチは残念ながら相手をノックダウンするほどにはいたらなかったようです。
※日本は、手足を米国に縛られ身動きが取れない状態なのでノーガード状態(歴史教育や反撃や防衛を事実上行使できない憲法9条)でパンチを食らわなかければならなかったので打ち負かすことに成功しましたが、世界戦を戦ってきた猛者ぞろいの欧米ではうまくいかなかったといったほうが正解に近いでしょう。
米国は、人間がそもそも持ち合わせている人種間の不寛容さを利用し白人社会の多くを取り組むことに成功しそうですし、アジア人種にしても台湾や日本、東南アジアの小国、インドを中共にいじめられたかわいそうな弱小国としてブランディングし、その覇権の正当性を補強することによりその多くの国における民意を勝ち取ることに成功しつつあります。
今後の展開は非常に読みずらいものがありますが、コロナに苦しむこの世界で起きている沢山の事象が決して、この混とんとした世界情勢と決して無関係なわけではないことを自覚してから、改めてその景色を眺めると、その色合いは以前とは大きく異なって感じられるかもしませんし、おのずと未来への予測も何らかの答えが導き出されるかもしれません。
まあ、しかし一個人としましては近隣諸国の都合で批判や侵略の矢面に立たされている現状はストレスでしかなく、「誰か何とかしてくれ~」と祈るしかないのが現状です。
ホント個人って無力ですようね。(年々自覚していく毎日(T_T))
ただ夢は持っていたいので、色々計画を立てていきたいと思っております。
まずは、本邦が個人の自由で選択のできない社会に変質したとしても、少なくとも自分とういう一個人はそこから逃れ自分の信条を(自分の信じる事を話し自分が思う不正義に声を上げる事ができる社会)保つ事ができる「脚力を持つ」ということ(資金力と知識)。
そして次に求めているのは、マスコミですら洗脳の手段としてなってしまって同調圧力によりありとあらゆる場面で思想信条を矯正されてしまっている現在(事例にだすと誤解を生じますので皆々様ご自身でお考え下さい)、一人一人の信条が互いに尊重される反全体主義的な思考を広められるよう「発信力」を持つことです。
これに関しては、十分な説明が必要かと思いますので、また別の機会にでも述べていけたらと考えております。
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