映画の論評に関する考察について

 おはようございます。

ちょっと色あせた記事になりましたがひと月前に書いた記事です。(チョット気に入っているので迷いましたがアップいたします)


今回はまたまた西野先生についてのお話です。

(ホントこの人は誰にとっても(ほとんどがアンチ)お金になる人だなあ~と感心いたします)

プペルが燃えに燃えています。

色々な批判が巷にはあふれていますが、私が感心した批判(評論)を一つご紹介いたします。(中々勉強になりました)

彼のこの作品は感動ポルノに区分されるものであり、こういった作品を見てしまうと自分の感受性が鈍くなってしまうので私は見ない、との論評です。




感動ポルノとは、ただただ「感動」を掻き立てるだけの手法で、作者の戸惑いや葛藤が見えてこない作品の事らしいです。(思想性を感じない)

そういった感動ポルノに類する作品は、結果として「夢をあきらめるな」というただの説得や押しつけになってしまい、あまり作品としての奥行きを感じることはない作品になってしまっているとの事でした。

彼の作品は本物のファンやクリエイターは見ないのであろうし、あれだけ人気はあるのに一つもパロディーが生まれないのが、つまりその証拠だ、との解説でした。

「パロディーが生まれない」かあ~中々、的を得ていると感心いたしました。

確かに彼の作品を見て泣いたとの話は聞くがそれ以外の話が聞こえてこないのは確かだと思いました。(必殺!!プペルの型)

納得!!思わず紅の豚を見返してしまいました-やっぱええなあ~あの世界観!!!!

・・・・・話と気分をもどして・・・・・

う~ん、確かにそういった感動ポルノ的な作品はいっぱい世の中には存在しているなあ~と感じます。(ちょっとそれに感動してた自分が恥ずかしくなってきます「チャンプ」等)

ただ、人は黙って泣きたいときやお花畑いっぱいの感動を感じたい時もあります。(ちなみに、私の癒し動画は「はじめまして松尾です」です)




全てが全て太宰治の人間失格的な世界観であふれている必要もないでしょう。

彼の論拠なき単純な夢に、全てを託したいと思う事(人)も、私はわからなくはないです。(彼の夢については、ちょっと・・・・・共感はできませんが・・・)


全てが溶け合ってこの社会を形づくっているのであれば、・・・・

彼自身が作り出すモノガタリも無数のアノマリーの一つとして、その行く先をただの一人のお客として見てみたいと思うのは、・・・私だけでしょうか?(ちょっとそれっぽく・・・)


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